おはようございます。
洋裁と愉しみ 多多。
今日は、9:30〜17:00の営業です。
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8月15日、終戦の日。
晴れ。
亡くなった私の祖父の顎には、銃弾を受けた傷痕があった。
両親共働きだった私は4歳の時から毎年の夏、大分県の山深いところにある祖父母の家で1ヶ月くらい過ごしていた。
祖父母はいたずらも遊びもわがままも何でも許してくれて、燦々と愛情を浴びた記憶が胸の中にある。
戦後、脳の病気で左半身不随になった祖父だったが、元気な頃は杖をつき、足を引き摺りながら私を高崎山や水族館などへも連れて行ってくれた。
外出が難しくなってからも、居間の掘りごたつで祖父と長話をする時間が大好きだった。
時折訪れる会話の間の奥に聞こえる振り子時計の音。
右手の指をこたつの天板に連打する祖父の癖。
「じいちゃんなんて、早くおっ死んじまえば良いんだよな。」
どんな想いがあったのか分からないが、祖父は時々そんなことも言った。
大好きなじいちゃんが死ぬなんて!
どこか哀しげに微笑んでそんなことを言う祖父に、
「だめだよ。」
「違うよ。」
「死んじゃだめだよ。」
そんなことくらいしか言えなかった。
戦中、祖父に何があったのか。
毎夏山奥の家で無邪気に過ごしていた私だったけれど、顎の傷痕が目に入りながらも、戦争の話は一度も聞けないまま祖父は亡くなってしまった。
今だったら聞けるだろうか。
じいちゃんは私に聞いてほしかっただろうか。
***
戦後80年経っても、日本は変わっていないのではないでしょうか。
国籍やルーツで線引きをし、差別をし続けている。
大勢の市民を殺し続けている国へ、私たちの年金を使って莫大な金額を投資し続けている。
差別や戦争への加担を無視して、日本が平和であると語れますか?
以前ある方に、「戦争で亡くなった方々に感謝の気持ちはあるよね?」と訊かれたことがあります。
私は、戦争で亡くなられた方々に対し、貴方の命が戦争で奪われてしまったことが悔しくてとても悲しいです、とお伝えしたいです。
今すぐ日本が差別と戦争への加担を止め、世界中の人々が安心して暮らせるようになりますように。
終戦の日。
心から祈ります。



