鉄は熱いうちに。
デモから帰宅しました。
17時から約2時間のスタンディング。
約30名ほどの方々が集まりました。
日が暮れると寒さも感じましたが、途中から若い子たちがコールを始めてくれたので、私も声を合わせ。
Free free Palestine!
川から海まで 自由を求めて!
川から海まで 解放するまで!
終盤、私たちの近くを行ったり来たりする白髪の男性が。
駅から離れる方向に去って行ったその人は、自民党の務台俊介議員だと気付きました。
そしてまた戻って来て、今度は松本駅構内へ。
ここで、デモに参加していた二人が務台議員を追いかけ、一緒にデモの場に連れて来てくれました。
私は務台議員が構内に消えて行くのをボーッとただ眺めてしまっていたので、彼らのその機転と行動力に本当に感心しました。
デモの場に戻って来た務台議員に、即時停戦やUNRWAへの資金拠出再開を強く訴える皆さん。
10月7日のハマス側からの攻撃を起点にしたまま、あまりに非対称な現況も語ろうとする議員に対し対話がヒートアップする場面もありましたが、パレスチナ友好議員連盟とイスラエル友好議員連盟の両方に所属しているという務台議員は、「即時停戦」「UNRWAへの資金拠出再開」を政府に訴えると約束しました。
そして「ロシアも同じように非難して」とも議員は話していました。
その後、名刺を配られていた務台議員。
私は受け取る時、
「ガザの人々を、日本が受け入れる準備はありますか?」
と訊いてみた。
すると、
「考えていると思いますよ。」
と務台議員。
(そうなんだ!!重大な発言をしたのでは?)
そこで、
「避難して来たウクライナの方々と、他の国籍で母国を逃れて来た方々の日本での待遇の差があるのは何故ですか?」
と訊きました。
その理由は
「ウクライナの人々が逃れて来たのは戦争が原因だから。」
と、務台議員。
ここで、私が務台議員に言うべきだったのは、
◆難民条約では、戦争も含む「紛争」によって母国を逃れてきた人々は、難民として認定されなくてはならないと定められている
→本来、ウクライナの人々も難民として受け入れるべきでは?
ということ。
頭が回らず、そう訊き返せなかった。
悔しさが残りました。
それから日本において、「働いてはならない」「県を越えての移動は禁止」身分を証明するものが何もないので「社会保険に入れない」という、最たる非道な扱いを受けている「仮放免」の状況に置かれている外国籍の方々のことも訊いてみました。
「あまりに非人道的ではないですか?」
と。
すると、正確な文章は思い出せないのですが、
「不法滞在」
「犯罪を犯した人が日本に居ては困る」
といった話をされた務台議員。
思わず、
「日本はかつて、滞在ビザがグレーの状態でも、外国籍の方々を安い労働力として大勢見逃していた時代がありましたよね?
その時に生活の基盤を日本で築いた人たちも居たのではないですか?」
と言い、
「そりゃ、大きな犯罪を犯した人には帰国してもらいたいと思いますよ。」
と言いました。
実際、2010〜2019年の間において、強制退去令を受けた外国人の97%は母国へ帰国しています。
つまり残り3%の人々が、母国へ帰ることが出来ない事情を抱えているのです。
そして今、外国籍の方々の技能実習に関わる法令を改正している、と務台議員。
「逃げ出して失踪されては困るからね。」と。
また思わず、
「外国籍の方々の永住権を取り消す、っていう話ですよね⁈」
と返したら、
「永住権じゃないんだよ。
(↑この言葉の意図が読めなかったのですが、記憶のまま書きます。)
日本の法律を守らなくちゃならないということ。」
永住権じゃない?
永住許可って言えば良かった?
日本の法律って、どの法律??
頭に?がいっぱいになってしまって、言い淀んでしまった私。
質問を返せたら、議員の発言の意図や意味が分かったかもしれない。
また悔しい。
それを感じ取ったのか、
「また話しましょう!」
と、務台議員。
今、多多のホームページを作る準備を進めていて、色んな場所を訪問する「おじゃまします」というページも企画中。
務台議員の事務所にもおじゃまする?
先ほど投稿された務台議員のTwitterの投稿。
言葉の一文だけを切り取って印象づけるような発信を、こちらこそ残念に思いました。